《日本古典への招待》奥の細道 後期講座 第8回~第15回【全15回】
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オンライン講座「奥の細道」◇講師 長島 弘明◇ 後期講座

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 ※講座視聴可能期間:2024年10月1日~2025年3月31日

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【『奥の細道』を読む】

『奥の細道』は、芭蕉(1644~94)のもっとも著名な俳諧紀行であると同時に、日本古典文学の代表作でもあります。
芭蕉は元禄2(1689)年の旧暦3月27日、門人の曾良を連れて、江戸深川からみちのくの俳諧行脚に出発しました。
8月下旬に大垣に着くまで、約5か月、関東・東北・北陸と、2400キロに及ぶ大旅行です。様々な歌枕や歴史上の旧跡をめぐり、大勢の人と出会い、沢山の名句を残しています。
 『奥の細道』はこの旅をもとにした紀行ですが、事実そのままの記録ではありません。旅で体験した事実を素材としながら、それに虚構を加えた創作なのです。そういう視点で、『奥の細道』をご一緒に読んで行きたいと思います。

【講座カリキュラム:前期講座】

〇第八回 松島、瑞巌寺、石巻

 『奥の細道』の旅で芭蕉が訪れた歌枕の中でも、もっとも著名な場所の一つ、松島を中心とした条です。松島の風景を述べた箇所は、漢詩文の影響を受け、対句を多く用いた荘重な名文となっています。旅も半ばにさしかかり、松島、平泉、象潟と、このあたりからクライマックスの場面が次々に登場してくるので、『奥の細道』の場面の配置の仕方、すなわち構成法について、連句の歌仙に倣った構成をとっているのではないかとする説を参考にしながら考えてみたいと思います。

〇第九回 平泉、尿前の関、尾花沢

 藤原三代のはかない栄華と、源義経の悲劇的な最期にふれた平泉の条は、松島や象潟のような風光明媚な歌枕と違い、悲しい歴史の記憶が染みついた、もう一つの意味での名所です。自然の悠久と人生の儚さの対比、それはこの頃芭蕉が考えていた「不易流行」の理念とも一脈通じるものです。尿前の関でのわびしい体験は、旅の憂さつらさをよく読者に伝えてくれます。この回では、自筆本の出現により、従来の本文が間違いらしいとわかった箇所、読みがわからなかった漢字の読み方が決まった箇所についても説明します。

〇第十回 立石寺、最上川、出羽三山

 太平洋側から日本海側へと歩みを進めていく箇所です。最上川の条に、「五月雨を集めて早し最上川」という名句が出てきますが、この句の初案である「さみだれをあつめてすゞしもがみ川」の句は、芭蕉が実際に最上川下りを体験する四日も前に、連句の会で詠まれたものです。初案と改作句を比較して、『奥の細道』における虚構の問題、あるいは実際に連句会で詠まれた発句と、『奥の細道』の中に書き入れるために改作された発句との違いを、丁寧に説明したいと思います。

〇第十一回 酒田、象潟、越後路

 同じ名所でありながら、松島とは対照的な筆致で描写されている象潟の条を、味読したいと思います。また、酒田の条で出て来る淵庵不玉は、お医者さんで芭蕉の指導も受けた人ですが、芭蕉が『奥の細道』の頃に考えを固めた「不易流行」の論や、『奥の細道』の旅あたりから考え始めたという晩年の「かるみ」の論について、不玉が芭蕉の弟子の去来に質問したやりとりが、『奥の細道』の旅の成果と言ってもいい「不易流行」論・「かるみ」論の最上の解説になっていますので、ここで触れることにします。

〇第十二回 市振、越中路、金沢

 哀れを誘う遊女二人との同宿を記した市振の条は、西行と江口の遊女とのやり取りを思い起こさせますが、実はまったくの虚構であったことを説明し、女性が登場することが少ない『奥の細道』において、那須野の「かさね」という少女が登場する場面との明暗の対照をはかるためにこの条が創作されたことを指摘します。連句の中では、自然美を詠んだ月花の句に対し、人情美の粋である恋を詠んだ恋の句が重んじられますが、この市振の条は、『奥の細道』を連句と見立てた時、恋の句に当たることもお話ししたいと思います。

〇第十三回 多太神社、那谷、山中、別離、全昌寺

 多太神社の条で、白髪を黒く染めて戦に臨んだ斎藤実盛が出てきますが、白髪の老武者の奮戦と戦死は、平泉の条で、曾良が「卯の花に兼房見ゆる白毛(しらが)かな」と詠んだ、義経妻子の自害を見届けて死んだ十郎権頭(ごんのかみ)兼房にも共通します。源平の哀話の一つの極地というべきでしょう。腹の病気のため、曾良は芭蕉と別れ一足先に行くことになります。「今日よりや」の句からは、芭蕉の一人旅の心細さが伝わってきます。

〇第十四回 汐越の松、天龍寺・永平寺、福井、敦賀

 『奥の細道』の旅も終わりに近づき、序破急でいえば「急」にあたり、速いテンポで紀行文はつづられてゆきます。福井から敦賀までの行程は、「白根が岳(だけ)」「比那(ひな)が嵩(だけ)」「あさむづの橋」「玉江」(以下略)と、地名が列挙されているだけでどんどん進んでいきます。そんな中で福井の等栽という隠者俳人に関する話は、須賀川の条に書かれていた隠者俳人(栗斎)の箇所とは違って、軽妙・滑稽な筆致で書かれていて印象的です。

〇第十五回 種(いろ)の浜、大垣、跋

 大垣に着き、門弟や知り合集まってきて芭蕉をねぎらう箇所は、ちょうど旅立ちの条で、親しい者達が芭蕉等を送る箇所に対応しています。末尾の「蛤の」の句と、旅立ちの「行く春や」の句の照応も、明らかに芭蕉の意図によるものです。大垣到着で『奥の細道』は実質終わっているのに、さらに伊勢参宮の旅へ出発する所で終わっているのは、一つの旅の終わりは新たな旅の始まりであり、旅は永遠に続くということでしょう。「月日は百代の過客」であり、人は「日々旅にして、旅を栖とす」るのです。

 ※第一回~第七回は前期講座となります。


【講座紹介動画】



●奥の細道講座 講師

※長島弘明 (国文学者・東京大学名誉教授)
東京大学大学院修了。実践女子大学・名古屋大学・東京大学・二松学舎大学を経て現職。江戸時代の小説や俳諧を専門とする。
著書に、『秋成研究』(東京大学出版会)、『雨月物語の世界』(ちくま学芸文庫)、『上田秋成全集』(共編、中央公論社)、『建部綾足全集』(共編、国書刊行会)、『蕪村全集』(共著、講談社)、『名歌名句大事典』(共編、明治書院)ほか多数。

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